「お大事に」のちから

2020年11月20日

この時期になると、私は3年前のことを思い出す。

あの時の私は、肺炎+胃酸の逆流などが起こり、
身体の中を「台風」が吹き荒れたような状態だった。
朝起き上がるたびに咳き込んで、呼吸が止まってしまい、
本当に苦しかった。

当時アレクサンダーテクニークの学校に通っていたのだが、
登校どころじゃなくなってしまった。

 

その時、色んな方から色んな言葉を頂いた。
その中でも、最も私の支えになった言葉が、大定番の「お大事に」だった。

この言葉には、
相手をコントロールしよう、一方向に誘導しよう
という意図が感じられない。

「成り行きも含めて、
あなたが何を選ぶのかは、あなたに委ねていますよ」
という大らかさがある。

その上で「あなたが元気になることを
心から願っていますよ」と言ってくれている。

私はこの言葉に信頼と温かさを感じ、
その思いに力づけられていた、と思う。

* *

大きい病を得ている人は、
大抵治療を受けている。

そのプロセスには、お医者さんとの関係作りも含まれている。
信頼関係をお互いに作っていくことも、立派な「治療」だと思う。

そして、患者本人にも「何を選ぶのか」という
情報のリテラシーはちゃんとある。

大抵はその人なりの考えがあって、
取捨選択している。

なんと言っても自分の身体なのだし、
苦しかったら「なんとか、今の自分にとっての最良の道を行こう」
と誰しも思うだろう。

 

調子が悪い人に対して、何か言葉をかける時に、
「何かこの人に役立つことを言ってあげなきゃ」
と思い、前のめりになってしまうことが私にもよくある。
でも、その時の自分の意図と背景を、少し俯瞰したい。


「この人は情報不足だから」と、相手のリテラシーを低く見ていないか?

あるいは、自分に出来ることが見つからないと落ち着かないから、言おうとしていないか?

相手のためと言いつつ、
実は自分のためではないのか?
ということを、自分に問いたい。

 

「お大事に」の言葉には、
健康に役立つ情報は何も乗っていない。
それでも確かにあの時、私の支えになっていた。

つまり「役に立つ内容の言葉」だけが、誰かの役に立つわけじゃない。

私はこれから、
「お大事に」匹敵する、大きくて深い言葉を探していきたい。

でも今のところ、年末に言い合う
「よいお年を。」しか思いつかないのだけど。。