心のありか

少し前に、
「アレクサンダーテクニーク(AT)は、
心のことをどう扱っているのですか?」
という質問を受けました。

その時私は、こんな感じの回答をしました。

・ATは、心と身体をひとつのものとして捉えている。

・「心」、「身体」、「魂」・・と分けるのではなく、
全部を統合した「自己(self)=自分」のよりよい使い方を目指している。

・「刺激に対する反応」を扱っている。そのとっかかりとして「身体が入口」になっている。

・全体のコーディネーションがよりよくなれば、
そこに含まれる「心の働き」もよりよくなっていくだろうと考えている。

・というわけで、「心だけ」を抜き出して、どうこうしようというスタンスではない。

うん。とっても優等生的な回答ですね。
「無難」と言い換えてもいいと思います。

実際私たちは、心配でお腹が痛くなったり、
恐怖で身体が震えたリ、息苦しくなったりすることはよくあり、
心と身体のつながりについては日々実感していますよね。

では実際問題として、ATのワークと心の関係ってどんなもんなんでしょう?

ここからは、クマガイの「不確かな感覚」を基にした表現だと思って下さいね。
そして、あくまで「今の」私の感覚です。

ATのワークをして、自分の使い方、全体のコーディネーションがよりよい方向へ向かっていると思われる時、
私は「心がどうなっているか?」とか「どこが心なんだろう?」とかいう
こだわり、囚われ自体がなくなっている、と思います。

よく言われる「頭で考え過ぎてるから、もっと心で感じよう」みたいなものすら頓着しなくなります。
「はーい。クマガイ通りまーす。どうぞ、おかまいなく~ (^O^)/」ってイメージですね。

自転車カエルくん

真面目に言うと、もっと「わたしという全部」で受発信してるような感じになります。
「考える」、「感じる」という行為・活動も全メンバーが総動員してやってる感じです。
「全米が泣いた」って言い方がありますけど、
「全クマガイ」が、感じ、判断し、動いてく・・そんな状態です。

「ここで」「あそこで」「あれを」「こうする」じゃなくて、
それぞれの持ち場で、同時にお互いにいい感じに協力し合いながら情報をやり取りしている、そんな感じでしょうか?
自転車がスムーズに走っている時の連動具合に似ているかもしれません。

こうなると心配事がなくなります!と言えたらいいんでしょうけど、
残念ながらそういうことではありません。

心配事はそのまま存在しますが、他の情報も色々入って来ます。
「私、今心配してるな」という認知もそのひとつです。
「心配ネタ」だけを深掘りするのではなく、
あれもこれも、情報のひとつっていう捉え方になったりします。
色んな情報が出入り自由になっている状態と言えばいいかな?

もちろん、いつも、いつまでもこういう状態でいられるというわけではなく、
今の私にとって、まーまーいい状態の「一つの目安」にしている、ぐらいの位置づけです。
(感覚ってどんどん移り変わって行くものなので、ほんとにざっくりした目安って感じです。)

もしかしたら・・。
「頭より心」、「頭より身体」、「身体より心」・・て言っている時って、
自転車で言えば「ハンドルが大事」、「前輪より後輪が大事やで」、
「いやいやペダルが」って言ってることに近いのかもしれません。

でも全部がそろって自転車なんですよね。

そして私たちATを学ぶ者が大事にしているのは、
1コ1コの部品の優劣や優先順位よりも、
それらの「いい感じの連動!」なんだと思います。

ATは心をラクにするために、直接心に働きかけるワークではありません。

でもATを通して、
全クマガイ、全ズスキ、全タナカ、全コバヤシ・・として、
お互い生き合えるようになったらいいなって、
全クマガイは思ってます(^o^)

うさぎ冬景色

 

 

 

 

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