影から光を見るふたり

2021年1月31日

お城

大好きな絵本作家の安野光雅さんが亡くなりました。

安野さんは、繊細なタッチの水彩画や、
緻密でトリッキーな絵柄の絵本でおなじみですね。
『旅の絵本』『ふしぎなえ』はあまりにも有名です。

私の愛読書、柳田国男さんの『遠野物語』(ちくま日本文学全集)の装幀をなさっているのも安野さんです。

たのしい絵、やさしい繊細な色彩の安野さんの絵ですが、
ある時から私にとって、もっと違う彩(いろどり)で見えてくるようになりました。

何かのインタビューだったと思いますが、
ご自身の若い頃についてお話なさっていました。
正確な言葉は忘れましたが、

「若い頃の自分は乱暴で、ホントにどうしようもない奴だった。
ロクでもなかった。
周りのいい奴らは若くして死んでしまって、
生き残るのは俺のようにずるくて悪い奴なんだ」

そんなようなことだった、と思います。

またある本には、
「自分が細かく描き込んでしまうのは、
技術の無さをごまかすため」
というようなことを書いてらっしゃいました。
(どの本だったかは失念。)

私は、安野さんの「自分を見る自分の目」に触れたことで、
「あの繊細なタッチ・色彩は、安野さんの深い影に裏打ちされた
輝きだったんだな」と思うようになりました。

ただのやさしいキラキラではなく、
その下を支えている厚みのようなものを感じたのです。

 

また安野さん、というと私が思い浮かべる方が
臨床心理学者の河合隼雄さんです。
お2人はタッグを組んで
たくさんの素晴しい本を出されています。

河合さんが心のことを書き、
安野さんが表紙を描かれている
「講談社プラスアルファ文庫」シリーズを手に取ったことがある方も
きっといらっしゃると思います。
お2人による対談本も出版されています。
(生きることはすごいこと / 講談社SOPHIA BOOKS)

 

河合さんは、ご著書で「影」あるいは「影なるもの」について、よく触れられています。
児童文学や絵本などに出てくる
「こどもの内界」の影についても、大事なテーマとして取り上げていらっしゃいます。
さらに、タイトルもそのものズバリ「影の現象学」(講談社学術文庫)
という名著も出版なさっています。
まさに影の匠、と言ってもいいと思います。

 

安野さんと河合さんのお仕事から私が頂いた大きな財産は、
「光と影が合わさって立体なのだ」という捉え方です。

影は決して忌むべきもの、排斥するべきものではなく、
影をどう自分のものにしていくかによって、
生きることの厚みが生まれてくるのだということを、
お2人の作品、ご著書を通して私は知ったのでした。

光っているところの裏側には必ず影が生まれ、
影が深いほど、光は明るく輝くのだと思います。
年始に私が書いたブログ光に手をのばそう。には、
そういう思いもありました。

 

安野さんとのお仕事「講談社プラスアルファ文庫」シリーズで、
河合さんは、子ども、青春、老いなどのテーマを扱ってこられました。

重くなってしまうような内容に臨む時も、
「最後は安野さんの温かく深い色彩による表紙絵が、自分の文章を包んでくれるのだ」ということが、
河合さんにとって、とても心強かったんじゃないかな?
そのことに支えられていたんじゃないのかな?
と、私は勝手に想像しています。

 

実は河合隼雄さんは、10年以上前にお亡くなりになっています。
しかも亡くなる1年ほど前に倒れ、意識不明が続き永眠されています。

私にとっての影の2大巨匠がこの世を去ってしまったことは
ものすごくさびしいことなのですが、
不謹慎ながら「あ、コンビが復活したな」という思いもあるんです。
こちらの世界ではお2人にお会い出来なくなってしまったけれど、その代わりに
「お2人の止まっていた時間が、新しくつながった!」そんなイメージですね。

久々にお2人で再会し、
今頃、思い出話をしたり、
ダジャレを言い合ったりしているんじゃないかしら?

耳を澄ませてみれば、もしかしたら
私にもお2人のおしゃべりが聞こえてきたりして・・
なんて思っているところです。