からだと足並みをそろえたい。

2021年2月14日

馬

タイトルは、数年前に自分に言い聞かせた言葉です。
自分にげんなりし、
ものすご~く反省した上での自分への宣言でした。

以前体調が悪くなった時 (この時です)、私は

「病院に行って、薬もちゃんと飲んでるのにどうしてよくならないんだ!」
「こんなに自分はがんばっているのに・・」

と、自分のからだにムチを打つような視線を向けていました。

その後、大き目の病院へ行きCT検査をして、
お医者さんから
「一時的に炎症が起きていたけど、
治っていく途中が写っているんだと思います」
と告げられ、
からだがやろうとしていることと、
私がやろうとしていることが、
ズレていたことに初めて気づきました。

いつの間にか私は「からだ」を
「自分の言うことを聞かせるもの」
「私が支配しているもの」という視線で見ていたのでした。

そして「どうしてよくならないんだ!」と
からだにムチを打っていたまさにその時、
自分のやるべきことを
ちゃんと知っている からだは、

粛々と、自分の仕事をしていたのです。

*    *    *

例えば、からだが馬で、私の意思が騎手だとしたら、
馬が見ている方向と、私が見ている方向が、
バラバラになってしまっている!
馬には馬なりの知恵がちゃんとあって、行こうとしている所があるのに、
私はそれに気づかずに、ムチを打って違う所へ連れて行こうとしている・・。

ものすごくショックでした。

当時アレクサンダーテクニークの
教師養成トレーニングを受けている真っ最中でした。
「自分の使い方を学んでいる私がこれかーい!」
と余計にがっかりでしたね。

 

「自己管理」という言葉がありますよね。
社会人として大事なことはもちろん分かっているんですが、

もしもこの管理というものが、
「からだに自分の言うことを聞かせよう」
という考え方とイコールならば、
私はこれをやめたいな。

少し遠回りになったとしても、
馬と同じ景色を見られるようになりたいな。

馬と同じ目線で世界を見て、
足並みをそろえて、

一緒に走れるようになりたいな。

そう強く思いました。
あれは、からだと私の和解の時間だったと思います。
そして、大きくて深いインヒビション(抑制)と、ダイレクション(方向づけ)だったとも思っています。

 

実際、ここから私の在り方やワークへの向き合い方は、
ものすごく変わりました。

今までどこか無駄のように思っていた
遠回りや、より道を、楽しめるようになったのです。

*    * 

インヒビションは、今必要じゃない反応をやめること。
ダイレクションは、「自分をこう使おう」という意図・指示を自分に送ることです。)

馬

でもね~~。
人間って、すーぐ忘れちゃうんですよね。
「喉元過ぎれば」ってやつです。

調子がよくなって健康以外のことに関心が向き始めると、
いつの間にか「馬と私の約束」を忘れてしまう。

そして、ちょっと体調を崩したり、気になることが出てきたりすると、
からだに「支配・命令の視線」を向け始めてしまう。

やっぱりこれも自分の根深い習慣なんですよね。

人間って、
一度改心すればOKってわけじゃないんですよねぇ。
それはアレクサンダーテクニーク教師だって実は同じです。

でも、がっかりはするけれど、
「これも ”自分あるある” なんだな」とあきらめて、
「さぁ、ボチボチやりますか!」って、
自分にもう一度声をかけられるようになった分、
少しは成長しているのかなぁと思います。

気づいたら、忘れてたら、
そのつど、

「からだと足並みをそろえよう」
「馬と同じ視線で見てみよう」
「生命の視点に戻って行こう」

めげずに何度でも思い出そうと思います。
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