家族から見た「変化」

ご質問やリクエストをきっかけにスタートした
「私の変化」シリーズ第3弾です。

最後に「家族の目から見た私の変化」とその解説をお話したいと思います。
少しでもご参考になることがあればうれしいです。

虫眼鏡

 

姉の観察から

私は2019年12月に
アレクサンダーテクニークの教師養成コースを卒業しました。
卒業直後に、同居している家族(姉)に、
「3年間で、私どう変わったと思う?」と聞いてみました。
以下は、姉の観察です。

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日常生活で気づいたことは、
「緊張がなくなってきた」こと。

  ↓
姉によると、
以前は、私(クマガイ)の中に、

「これはこうしなきゃいけない」
「こうするべき」

というのがあって、
そこに緊張が伴っているように感じていた。

最近は「こうするべき」というのが、それ程強くなくなってきた。
その分、緊張も減ったように感じる。

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ざっくり言うとこんな感じです。

我が姉ながら、とっても的を射ている感想だなぁと感心しました。
彼女の観察は、

「考えていることは、身体にも表れている」

ということを非常に的確につかんでいるんですよねぇ。
そして、やっぱり家族ってよく見ているんだなぁとも思いました。

 

さて、私の「こうしなきゃいけない」という「自分ルール」には、

「じゃないと、上手く行かない」
「じゃないと、取りこぼしが出る」
という決め事のようなものがあり、
   ↓
「だから死守!」という思いがあるんです。

その「死守!オーラ」が
全体的なピリピリした緊張となって
家族に伝わっていた、ということだと思います。

虫眼鏡

 

自分で作った「ワク」に気づいていく

ところで、アレクサンダーテクニークのレッスンでやっていることって、
一見「身体のこと」ばかりのように見えるんです。

例えば私の場合、
「この”脇の下のギュ”っていうの、
やめられないかなぁ?」

「もっともっとやめられると思うよ」

ということを、先生によく言われていました。
( 「わたしの肩幅!」参照)

 

実は普段当たり前のようにやっていることを「やめる」って、
も~のすごい違和感なんです!

最初は自覚すらなかった
「脇の下のギュ」をやめることで脇の下が柔らかく広がっていくと、
私は「何かを落っことしてしまいそう」な感じがして、しばらく怖かったんです。

でもそのうち、
「ギュってしなくても、何も落とさないじゃん」
「んじゃ、なんでギュっとしてたんだろ?」
と考えるようになりました。

「ただ力を入れていた」のではなく、
どうやら自分なりの理由、決まり事みたいなものがあって
ギュっとしていたらしい、ということがだんだん見えてきたのです。

 ・  ・  ・

こんな風に
最初は、身体の反応について取り組んでいるつもりでも、
反応に気づき、
「反応って変えられるらしい」ということが分かってくると
いつの間にか自分で作っていた規定、ルールみたいなものにも
気づいていったりします。

これは身体のルール、心のルール、というよりは、
「自分を運営する上でのルール」みたいなものですね。

この「ルール=自分で作ったワク」みたいなものに気づくと、
そのうち「ワクの外」も見えてきたりするんです。
(順序は逆のこともありました。)

さらに
自分では「絶対!」と思っていたルールが、
「あれ?絶対・・でもなかったかも」と気づき、
      ↓

「もーちょっと様子を見ても大丈夫かも」
「状況に合わせて、変えてっても大丈夫かも」

と、ルールの移動が起きてきたりします。
ワクって、広げたりズラしたり出来るんだ!
というのが勝手に「見えて」くるんです。

まるで、
身体の反応が変わっていくにつれて、
違うメガネに掛け替えた、レンズの種類が変わった、
みたいなことが私の中で起きていきました。

虫眼鏡

ルールとの共存

一方、「自分ルール」って
出来た時には、それなりに合理的な理由があることが多い。
その時には必要で、上手く行く確率が高かった(と認知していた)からこそ、ルールになっているわけです。
過去世の自分の成功体験みたいなもんです。

 

なので「もう必要ない!めでたし」
という単純な問題でもなく、

「あ、気づいたら、また自分ルールにこだわっていた(涙)」
という自分と出会ったりもします。
よくがっかりするんですよね、
「過去世の自分、まだ成仏してなかったか」って。

 

でも、決して自分ルールが悪いわけではなく、

・他の可能性や余地が見えなくなってしまうこと。

・自分ルールが合わない状況でも、それを貫き通そうとしてしまうこと。
が問題なんですよね。

つまり「自分が作ったルールで自分を縛ってしまうこと」が問題なのです。

そもそも、自分自身も常に変化しているので、
それに応じて、ルールって書き換えていってもいいわけなんです。

いかにルールを滅するかではなく、
いかにルールと共存するか!
じゃないかなと今は思っています。

ルールが主役じゃなくて、
「今の自分」こそが主役なんですもんね♪

というわけで、
ちょいちょい自分ルールに乗っ取られそうになりながらも(苦)、
「そのつど、ルールとご相談」
というのが現在の私なのです。

・  ・  ・

<私の変化シリーズ>
・第1弾→ わたしの肩幅!
・第2弾→ 自分ルールの引っ越し

 

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