殺陣と所作:映画「るろうに剣心」

映画「るろうに剣心」を観てきました。
シリーズ5作品のうち、私は第2作「京都大火編」から
ずっと劇場で観ています。

 

アレクサンダーテクニークを知る前から、
人間の「身のこなし」「佇まい」「リズム感」というものに興味がありました。
「るろ剣」に惹かれたのも、その殺陣に魅了されたからです。
といっても、殺陣そのものに詳しいわけではありません。

あるシーンで「表現したい何か」を成立させるために
殺陣というツールを使って、どうやってその場面をデザインしていくのか?
その世界観に向かって、人間の動きをどう構成し、具現化していくのか?

それを発見するのが楽しくて、時々「チャンバラ映画」を観ているのです。

本日は、アレクサンダーテクニーク(AT)的視点を交えつつも、
AT用語を使わずに書いてみようと思います。

日本刀

 

さて、今回観た最終話(第5作)「The Beginning」の殺陣は、
4作目までのトーンとは全く違うものでした。

4作目までの「るろ剣」は、
「自分はもう人を殺さない」という誓いを立て(不殺の誓い)、
切れない刀、「逆刃刀(さかばとう)を持ち、
「人を生かすための剣術」を駆使する緋村剣心の物語でした。

アクションはメリハリが効いていてダイナミック。
「華やかだけど、骨太で渋いサーカス」みたいなイメージです。

 

対する第5作は、バリバリ現役の暗殺者、
「人斬り抜刀斎 (ばっとうさい)と呼ばれていた、少年時代の剣心の話。

「暗殺者」は、出来るだけ素早く、効率よく人を斬っていく必要があります。
前作までの、空間を大きく彩っていくようなアクションではなく、
ギュッと圧縮された空気を
細い線で切り裂いていくような空間の使い方。
照明も常に暗めで、「速さと重苦しさが混在する」ようなトーンです。

刀の音も「逆刃刀」の「ガツッガツ!」という音とは違い、
「ビシュッビシュ!」と血しぶきを連想させるような音になっています。

逆に、ヌメっとした緩慢な動きが、緊迫感を生み出している名シーンもありました。

日本刀

 

もうひとつ、とても印象的だったのが剣心の「所作」でした。
それも人を斬っていない時の、生活の所作です。

仕事から宿屋へ戻り、手を洗い、拭う所作、
階段を静かに下りていく時の身のこなし。

ひとつひとつが、
毛筆でスーッと線を引いていくような動きなのです。

これまでの「人を殺さない」前提の作品群では、
剣心の表情がはっきり映っている場面が多かったのですが、
「抜刀斎」としての剣心は、いつも伏し目がちで無表情。

表情での描写が少ない分、ひとつひとつの所作が
静かに空間を染めていきます。
宿屋の客は荒くれ者だらけなので、
彼の佇まいが、より際立つのです。

 

周りに「散らしていく」エネルギーではなく、
中心に「集約」しながら統合しているようなエネルギー。
いつでも爆発出来るパワーを秘めつつ、
芯に青い炎を保っている・・。
私にはそんな風に見えました。

それは「外側から動作を形作っていく」というレベルがさらに深まり、
長い間、演じ手の内側で生きていた剣心からにじみ出てきた、
自然な所作だったのではないかと私は思います。

桔梗の花

 

アクション映画って、
シリーズを重ねるごとにどんどん派手になって
仕掛けが「盛り盛り」に重なっていきがちですよね?
(「盛り盛り」の場面も、実はしっかりあります!)

でも、最終話の「るろ剣」は、
今までのギミックをどんどん削ぎ落として
「緋村剣心の所作ひとつでも成立させ得る」というところまで
昇華させていました。

 

一度大きな花束を作り、
最後に一輪の花だけを生け、去る。
そんな締めくくりでしょうか。

シリーズ10年の蓄積と余韻を味わっているところです。

 

(と言いつつ、「マイベスト殺陣シーン」は
「京都大火編」の新月村の場面です。(^O^)/)

桔梗の花

 

 

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