2022年3月27日
前回の続きです。
「プロシージャ」 (procedure)と呼ばれる
同じ動きを何度も繰り返すスタイルの
アレクサンダーテクニークの個人レッスンを受けるようになって私が感じたことは・・。
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この同じ動作のプロセスを、
「知っている道を 何度も何度も通ること」に例えるならば、
「あれ? 今、全然知らない路地が見えたぞ!!」とか
「もう一回通ったら、また見えるかな?」とか
「この道とこの道の間にも、また別な道があるみたいだ」とか
今まで思ってもみなかったような世界が
私の前に徐々に広がって行ったんです。
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そして、最初は「断片」的にしかキャッチ出来ていなかった
先生の手を通して受け取った「情報」が、
ちょっとずつちょっとずつ結び合わさって行くにつれ・・
もっと大きくて深くて繊細な像を結んで行くような、
そんな予感を抱くようになりました。
近くで見るとただの「色の点点」にしか見えないものが、
離れて見てみると、広大な風景画になって行く、
そんなイメージです。
「今はまだよく分からないけど・・・
でも、このプロセスの先にあるものは
きっと自分が見たい風景が広がっている!」
そう思うようになりました。
その風景は
「自分が生きていることと深くかかわっている根源的な何かである」という確信のような想いもありました。
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前編でもお話しましたが、
それまでSTAT派以外のスタイルのレッスンも
受けたことはありました。
そちらのスタイルに不満があったわけではなく、(むしろとっても楽しかった!)
単純に「私は、この道を行きたい!」と思うようになったのです。
これでいい、じゃなく
こっちに比べてこっちがいい、でもなく
これがいい!と思ったのです。
* *
改めて思うのは
「資格」って自分の動機を再確認する「装置」にもなるんだなあってことです。
わたしはこの学びを通して
何を知りたかったのか?
何を見たかったのか?
その先に何を求めているのか?

学びの入口にあったのは、
「もしも自分を生かしている、根源的な仕組み、働きというものがあるのなら、知りたい、見てみたい、体験したい!」
という内側から湧いてくる想いだったんですよね。
なので、
「STATの資格だからすごいでしょ?」ではなく、
「人に認めてもらうために資格を取る」ではなく、
「食べていくためにまずは資格!」ではなく、
先に強い想いで「放った矢」があり、
結果として当たった「的」が、伝統的なスタイルの資格だった、というわけで、
私にとっては「どんな矢を放ったか?」の方が大事なことなんだよな。
そう思っています。
「なんじゃこりゃ!!」
「もっと知りたい!!」
を原動力にして
これからも進んで行くつもりです
(^O^)/

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