教師の宿題

2023年12月28日

劇場

ご無沙汰しております(笑)

北千住のアレクサンダーテクニークの学校 (TAC)、デイサービス、個人レッスンとおかげさまで充実した日々を送らせていただいております。

少しずつ、自分らしく、人間らしくなって行ってるなぁと感じています。

さてこの一年、学校の学生さん、個人レッスンの生徒さんたちとワークをする中で、私の「教師としての課題」が浮上してきました。

それは「自分のパターン(習慣)に出会った時の自分の反応」です。

これはコーディネーションのパターンはもちろん、
物事の捉え方、考え方、選び方のパターンですね。

 

よく「自分と向き合う」という言葉を耳にします。
AT教師もよく使います。

しかし、この「向き合う」と言う言葉。
便利というか曲者というか(笑)

普段埋もれていて忘れていた
しかし根深い自分のパターンと出会った時、教師といえどもやはり「ギクッ」とするのです。

そしてこんなことを言ったりします。

「わたしって、こういう時、こうなっちゃうんですよー。
自分に向き合わなければ~(シクシク)」

 

こうやって、起きていることをドラマチックに歌い上げる。
これって向き合っているようで、向き合っていない・・?

むしろ「プレイ」なんじゃないかなぁと、私は思うようになってきました。

劇場

ATでよく使われる表現に「クリティカルモーメント critical moment」という言葉があります。

重大な瞬間、きわどい瞬間、決定的な瞬間などと訳されています。

よりよいコーディネーションの流れから、その流れを阻害しそうな自分の使い方に向かって行ってきそうな「狭間はざま」みたいな瞬間のことですね。

この狭間はざまの状態から「阻害する自分」の方に向かってしまうと、首などどこかが固まってしまったり、捉え方や情報の受け止め方の硬直が起こったりします。

 

【ワークをしていて、生徒さんにクリティカルモーメントが起こっている時、実は教師側にもそれが起きているのではないか?】

というのが、この一年を通して自分に対する観察で出てきた「仮説」です。

簡単に言うと

「生徒さんの首が固まっている時、
教師である私の首も固まり始めている」

「生徒さんの何らかのパターンを目撃している時、
私も自分のパターンでその人を捉え、接している」

結果、
「”私にとっての●●さん”のパターンが
引き出される」(良くも悪くも)

つまり
「あなたの問題ですよ」と言ってる時
私自身にも「私の問題」が起きている。
しかも、そのことに気づきにくい。
ということです。

そしてラッキーにも自分のパターンをキャッチ出来たら出来たで
上記のように「向き合わなきゃ~(シクシク)」とドラマチックに歌い上げてしまう。ウザイですよね(笑)

この「プレイ」から脱したいなぁというのが今の私の研究課題です。

劇場

では、どういう取り組みをするか・・?

今思っているのは、
望んでいない自分の心身のパターンに出会った時・・

「歌い上げない」

「ドラマに仕立て上げない」

「ストーリーをくっつけない」

「重々しくしない」

こと。

シンプルに

「あ、見つけた」と思ったら

「自分全体に戻ろう」

「全体を見よう」

「以上!」

ですね!!!

自分のパターンと接する時の自分の「在り方」が淡々と軽くなっていけば、きっと一緒にワークする生徒さんたちもそうなっていくんじゃないかなぁと私は思っています。

空と大地

これらは全て、生徒さんたちとワークをする中で出てきた気づき、アイディアです。

「教師は生徒であり、生徒も教師である」
は本当なのです。

宿題って子供の時は大嫌いでしたが、
せっかく大人になったので
自分への宿題は楽しく取り組みたいなと思っております。

学びを分かち合って下さっているみなさま、いつも本当にありがとうございます!!