2020年5月3日
私の考えグセとして
「何が正解なのか?」を急いじゃう、というのがあります。
どこかに正解というものがいつもあって、
誰かがそれを知っている、という前提が
いつの間にか自分の中に出来ていて、
一刻も早くそれを知りたい!と
思ってしまうのです。
計算ドリルを自分で解かないで、
すぐに巻末の答えを見ようとする、
ちょうどあんな感じです。
さらに、自分の持っている「正しさのモノサシ」で、
人を測ろうとしてしまうこともあります。
でも、今のこの状況って、
ちょっと新しい仮のモノサシが、出来ては消えていっているように見えます。
測りきれないなぁ・・と思います。
・・・・・
もしも、
新しい柔軟なモノサシっていうのが、
これから出来ていくんだとしたら、
一旦、「自分の中の正解」=今までのモノサシを、
保留にする必要があるのかもしれないな、
と思っています。
今までと全然違う長さ、形、材質、
あるいは本数?のモノサシを作っていく時に、
もどかしくて、ついつい自分の古いモノサシで測ろうとして、
そのことに疲れてしまったりしています。
「測りきれないものを
ムリヤリ測ろうとして玉砕!」という
疲れ方、なんだろうなと思います。
その時に「古いモノサシNG!」と、
自分を罰し、抑えつけるのではなく、
「あー、古いモノサシでがんばって測ろうとしてるなぁー」と、
その自分と一緒にいてみたいなと思います。
自分が自分と一緒にいること。
バラバラな自分じゃなくて、
頭ー首ー背中ーそして全体っていう
つながり、つらなりの自分と一緒にいること。
そこから始めて、何度もそこに戻って来たいなと
思っています。

モノサシ?