命を燃やすこと。: 朝ドラ「スカーレット」について

大好きだったNHKの朝ドラ、「スカーレット」が終わってしまいました。
スカーレットは、女性陶芸家「川原喜美子」の半生を描いたドラマです。
このドラマの完結はただ単に淋しいだけじゃなく、個人的に感慨深いものがあります。

 

放送がスタートしたのが、去年の9月末。
アレクサンダーテクニークのトレーニング期間は約3年間なのですが、
私のトレーニングの最終学期のスタートと、ほぼ同時の開始でした。
ラストスパートを、随分喜美子たちに支えてもらっていたなと感じます。

私が学校を卒業した後には、主人公たちはすっかり大人になっていて
「自分の人生を生きていくってどういうこと?」という問いかけが、
「生きるってなんだろう?」という、
よりシンプルなテーマに移り変わって行った気がします。


色んな見方があると思いますが、
このドラマは、「人はこうあるべき」、「女性は、男性はこうあるべき」、
「夫婦はこうあるべき」、「親はこうあるべき」という所とは
違う視点から描かれていたように思います。

誰かが決めた「べき」よりも、
「自分が決断する」こと、その決断を丸ごと自分が引き受けること、
そこが丁寧に描かれていました。

実際、彼女たちが「後悔」するシーンもありました。
でもそれは、自分の決断したことの結果をしっかり受けとめたから出来た、
「ここから前へ進むための後悔」だったと思います。

「過去は振り返らない、後悔しない」という生き方もカッコイイとは思いますが、
そればかりでは、自分の何かが追いついていかないことが、生きているとあるものです。
そういう意味で、彼女たちの後悔は私にとっては救いでした。



ドラマのラストスパートでは、「生命そのもの」が描かれていました。
同じく陶芸家を目指す喜美子の息子、武志が白血病になるのですが、
いわゆる闘病記ではありませんでした。

病と闘うこと、征服することよりも、
このドラマは「病を得てもなお命を燃やすこと」を大事にして、
その輝きをすくい取って見せてくれました。

 

だるい身体を横たえながら、庭に干してあるカサを見ている内に、
自分の作品のインスピレーションを得るシーンは、魔法のようでした。

自分が向かいたい先に手を伸ばす時、
それは、自分の命を燃焼させている時なんだと思います。
武志が発しているそのシーンのキラキラが、
私の中にも入ってくるような気がしました。

 

火の燃え方にも色々あるように、
自分の命の燃やし方も、強火、中火、トロ火、色々です。
強火でも弱火でも価値は平等。ただ願わくば完全燃焼でありたい!

緋色(ひいろ)を意味する「スカーレット」を観終わり、
そんなことを思う日々です。

スカーレットの花瓶


2020年3月31日