声にならない声 : 映画『エクソシスト』と身体性

2020年12月1日

今日は映画の話を。
アレクサンダーテクニークとは直接的には関係ない話ですが、
興味のある方はおつき合いください。

「心のこと」や「身体性」については、
アレクサンダーテクニークを知る前から、ずっと興味を持っていました。

心と身体のつながりについて、
すごくよく表現されているなあと私が思っている映画の筆頭に挙げられるのが、
あのホラー映画の代表作と言われている『エクソシスト』です。
(1973年。ウィリアム・フリードキン監督作品)

もうホラー映画の名作中の名作的な作品ですので、
『エクソシスト』のあらすじなどについては、
専門的なサイトをご参照いただくとして、
ここでは私が思うことを中心にお話していきたいと思います。

カチンコ(黒)

 

リーガンという少女

主人公はリーガンという少女です。
この少女に悪魔が取り憑いた(と思われる状態になった)ことにより、
悪魔祓いを受けることになるのですが、
大人ではなく「少女を主人公にした」というところが、
私には非常に興味深いのです。

 

彼女は12才。思春期に差し掛かったところで、
身体も恐らく変化し始めている時期だったと思います。

リーガンの母クリスは、女優さんで華やかな生活を送っています。
映画監督と恋の噂もあるのですが、
リーガンは、自分の誕生日パーティに映画監督を呼ぶようクリスに促し、
「だって好きなんでしょ?結婚するの?」と、
表面的には母親に理解を示すような態度をとってみたりします。

一方で両親は別居しており、リーガンは父親となかなか会えず、淋しい思いもしています。

 

苦しみを抱えつつ、親への理解を示そうとしている思春期の少女の内界に
嵐が吹き荒れているであろうことは想像できます。

また、嵐のような苦しみを抑圧していった結果、
外界にそれが表出してくる、といったことは大いにあり得ると思います。

その状態に「悪魔憑き」という名前をつけることもあれば、
「心身症」、あるいは「多重人格」などという名前をつけることもある。

私にとっては、どの呼び名が正しいかよりも、
思春期の少女の内側に嵐が吹いていて、
その苦しみが奇怪な言動、容貌に「表現」されている、
というところが大事だなと思っています。

 

自分で自分を止められない苦しみ

リーガンの身体が宙に浮き上がったり、
自身をベッドに打ちつけたりする恐ろしい場面があります。
彼女は、自分で止められるものなら止めたいと思っているけれど止められません。
(悪魔の声と、それに抵抗しているリーガンの声の描写がある。)

見ている私は、もちろん恐いけれども、
それ以上に「どれだけ苦しいのか」が、伝わって来るのです。

途中、自分の女性性を否定するような描写もあります。
さらに、人間離れした力で、母と恋の噂のある映画監督を殺してしまいます。(直接的な殺人のシーンはないが、状況的にリーガンが殺したであろう、ということになる。)


「ママの人生を受け入れてあげたい」
と思う一方で、
「どうしても受け入れられない」という強い拒絶があったのだと思います。
そして、大人の身体に変わっていく、自分自身に対する嫌悪の気持ちも・・。

自分も周りも傷つけたくないけれども、傷つけるのを止めることが出来ない。
自傷を繰り返し、彼女の身体は文字通り「傷だらけ」になっていきます。

 

声にならない声

私が最も胸打たれたのは、
リーガンの「声にならない声」が出現したシーンです。

夜ベッドで眠っているリーガンを、
クリスの秘書の女性が見回ります。(ずっと母子のそばで、献身的に働いてきた若い女性)
その時、リーガンのお腹に
「help me (助けて)」という文字が浮き出てきます。

自分の中に閉じ込められたリーガンが、
内側からノックして、助けを呼んでいるかのようです。


ずっと孤独で苦しい、
誰かに助けて欲しい、
ここから出て自由になりたい、
でもどうしたらそれが出来るか分からない・・。

 

リーガンの叫びが、お腹の皮膚に出てきたこの状態に対して、
これは「心」の症状、ここからは「身体」の症状と分けて
名前をつけられるか?と言ったら
私にはすごく難しい。

やはり、心も、肉体も、そして魂も一体となって
「リーガンそのもの」として表出した、
と考えるのが自然なんじゃないかなと私は思います。

リーガンが眠っている時に、
静かに文字となって浮かび上がって来た、というところも非常に象徴的です。
眠っている時でなければ、出て来られなかったのだと思います。

* *

映画は「悪魔祓い=エクソシズム」の話ではありますが、
実は「本当に悪魔が憑いてるの?」
と問いかけるような場面がちょこちょこ出てきます。

一方で「やっぱり人知を超えたものの仕業なのかも」というシーンもあり、
見る人によって様々な解釈が出来る余地があるのが
この映画の素晴らしいところです。

私はオカルト映画、ホラー映画というよりも、
「ヒューマンストーリー」として、この作品を高く評価しています。
超恐がりの私が、唯一1人で見ることが出来るホラー映画ですね。

そしてリーガンと対峙するカラス神父にも
思うところはたくさんあるのですが、
それはまた別の機会にお話したいと思います。

 

あ、もちろん、
アレクサンダーテクニークでは悪魔祓いも、心理療法もしませんよ!

あくまで個人的に「こういう視点、見方があってもいいんじゃないかなぁ」と思っているのです。

 

カチンコ(ピンク)