箱庭療法の思い出

2021年8月10日

昔、心理療法のひとつである「箱庭療法」を体験したことがあります。
大学を卒業して少し経った頃だったと思います。

きっかけは臨床心理学者の河合隼雄さんの著書を読んだことです。(後述)
具体的な心の悩みや症状があったわけではなく
単純に「なんだこれ?知りたい、体験したい!」
という好奇心からでした。

当時インターネットは、まだまだまだ遠い存在でした(笑)。
私は出版社に手紙で問合せをし、その後ご縁があって、
精神科医のM先生という方にお会いする機会を得ました。

大体2週間に1回、計10回、箱庭療法を受けました。
とても貴重な数ヶ月でした。
(実費にて。治療目的ではなく「教育的に体験」という事情により。)

・  ・  ・

あれから20年以上経ちます。
当時と今とで、私の興味の持ち方も随分変わりました。

箱庭を受けていた当時は、専ら「自分のこと」に関心がありました。
自分がどんな箱庭を作ったか、どう変化していったか、
それは自分にとってどういう意味があるか?
そんなようなことです。

そして今思い出すのは、私が箱庭を作っている時の、M先生の「在り方」です。

クライアントが箱庭を作る時、
先生は基本、何も仰いません。
ただひたすら、私がやることをじっとご覧になっていました。

言葉は「無」でした。
でも、在り方は全く「無」ではなかったな・・と思います。

なんと言うか、電気出してるみたいな、そんな「居方」だったなぁと思うんです。
あの頃を思い出すと、静かに放電しているみたいな、
そんなM先生の姿が心に浮かんで来ます。

不思議なんですよね、当時はM先生の「在り方」なんてあまり目に入っていなかったはず・・。
関心事は自分のことでしたから。

でも今になって思い出してみると「目の前で起きていること」以外のことも、実は私なりにキャッチしていたようです。

人間って、周辺のこと、背後のことも繊細にキャッチし、
そこから深い影響を受けているんじゃないかな?
そんなことを考えるようになりました。

 

箱庭
(箱庭のサンプル写真)

 

きっと、誰もいない場で、ひとり箱庭を作るのと、

何も言わないけれど、
静かに深い態度でいらっしゃるM先生の存在を感じつつ
箱庭を作るのとでは、
全く違う作品(箱庭)になっていたんじゃないかなと思います。

「お互いの在り方が作用し合って場を作る」ということなのでしょうね。

M先生がどんなまなざし、注意の向け方、意識の在り方で
あの場に一緒に居てくださっていたのかを想像しつつ、
楽しく心の中のアルバムを眺めています。

*  *  *

あの頃はアレクサンダーテクニークの「あ」の字も知らなかったのですが、
当時から、私の知りたいことは「起きていることの深層、源流ってなんだろう?」ということだったように思います。

アレクサンダーテクニークは心理療法でも治療でもありませんが、
「人間がもともと持っている力、根源に向かいながら変容していく力を探究する」
と言う観点から見てみるならば、
私にとっては共通したテーマだったと思っています。

そして、どちらも「体験が大事である」という点も、
共通しているんじゃないかなと思います。

両者とも「本を読んだだけじゃ、著者が言おうとしている本当のところはわかんない!」
と思い、飛び込んでみた世界だったのです。

 

みじかい葉っぱの罫線(うす緑S)みじかい葉っぱの罫線(うす緑S)みじかい葉っぱの罫線(うす緑S)みじかい葉っぱの罫線(うす緑S)みじかい葉っぱの罫線(うす緑S)

<参考文献>
・魂にメスはいらない ユング心理学講義 / 河合隼雄、谷川俊太郎
(講談社+α文庫)

・新 新装版 トポスの知 〔箱庭療法〕の世界 / 河合隼雄、中村雄二郎
(CCCメディアハウス)

※アレクサンダーテクニークは心理療法や治療ではありません。