「教師認定資格」と私。(後編)

前回の続きです。

「プロシージャ」 (procedure)と呼ばれる
同じ動きを何度も繰り返すスタイルの
アレクサンダーテクニークの個人レッスンを受けるようになって私が感じたことは・・。

虎ぼる太くん(左)

この同じ動作のプロセスを、
「知っている道を 何度も何度も通ること」に例えるならば、

 

「あれ? 今、全然知らない路地が見えたぞ!!」とか

「もう一回通ったら、また見えるかな?」とか

「この道とこの道の間にも、また別な道があるみたいだ」とか

今まで思ってもみなかったような世界が
私の前に徐々に広がって行ったんです。

 

虎ぼる太くん(左)

 

そして、最初は「断片」的にしかキャッチ出来ていなかった
先生の手を通して受け取った「情報」が、
ちょっとずつちょっとずつ結び合わさって行くにつれ・・

もっと大きくて深くて繊細な像を結んで行くような、
そんな予感を抱くようになりました。

近くで見るとただの「色の点点」にしか見えないものが、
離れて見てみると、広大な風景画になって行く、
そんなイメージです。

 

「今はまだよく分からないけど・・・
でも、このプロセスの先にあるものは
きっと自分が見たい風景が広がっている!」
そう思うようになりました。

その風景は
「自分が生きていることと深くかかわっている根源的な何かである」という確信のような想いもありました。

虎ぼる太くん(左)

前編でもお話しましたが、
それまでSTAT派以外のスタイルのレッスンも
受けたことはありました。

そちらのスタイルに不満があったわけではなく、(むしろとっても楽しかった!)

単純に「私は、この道を行きたい!」と思うようになったのです。

これでいい、じゃなく

こっちに比べてこっちがいい、でもなく

これがいい!と思ったのです。

* *

改めて思うのは
「資格」って自分の動機を再確認する「装置」にもなるんだなあってことです。

わたしはこの学びを通して
何を知りたかったのか?
何を見たかったのか?
その先に何を求めているのか?

弓道

学びの入口にあったのは、

「もしも自分を生かしている、根源的な仕組み、働きというものがあるのなら、知りたい、見てみたい、体験したい!」

という内側から湧いてくる想いだったんですよね。

なので、
「STATの資格だからすごいでしょ?」ではなく、

「人に認めてもらうために資格を取る」ではなく、

「食べていくためにまずは資格!」ではなく、

先に強い想いで「放った矢」があり、
結果として当たった「的」が、伝統的なスタイルの資格だった、というわけで、

私にとっては「どんな矢を放ったか?」の方が大事なことなんだよな。
そう思っています。

「なんじゃこりゃ!!」

「もっと知りたい!!」

を原動力にして
これからも進んで行くつもりです
(^O^)/

弓道

 

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