年齢と学び(その1)

いわゆる”アラフィフ”で、
アレクサンダーテクニークの教師養成校に入学し
卒業した私ですが、
入学してからしばらくは、年齢のことで
それなり~に葛藤はありました。

思っていたことは主に2つ。

1つは、「こんな、どこの馬の骨とも分かんないオバさんが
”先生デビュー”しても、
生徒さん誰も来ないんじゃない?」という不安。

もう1つは、「やっぱり若い人の方が
理解や変化のスピードが早いんじゃない?」という不安。


1つ目については、
学んでいく内に、あまり気にならなくなって行きました。
それは「自分はもう大丈夫だと思った」、
というのとも少し違います。
それどころじゃなくなって行ったのです。

学びが進んで行くと、自分の課題がどんどん現れてきます。
それは「今の自分の使い方」から生じてくる課題なので
ものすごくリアリティがあるのです。
それらの課題を糸口にして、
「どうやったら自分の使い方をちょっとでもよく出来るだろう?」
と取り組むようになると、
「馬の骨問題」にはあまりリアリティを感じなくなっていくのです。

ゴチャゴチャ言えてる内は、
まだ余裕があるってことなのかもしれないですね。


2つ目については・・うっすら引きずっていました。
私より若い学生さんの変化はやっぱり早いんですよね。
先輩方ももちろんそうですけど、
若い後輩さんたちの進化のスピードもすごい。

身体の変化も早いし、知的な理解も早い。
「えー、私、入学して同じぐらいの頃、
そんなこと全然分かってなかったよ」
って驚かされることは日常茶飯事・・。

そして、何十年も教えていらっしゃる
偉大な先生方のレッスンを受けるたびに、
「残りの人生の全部の時間を費やしたとしても、到底間に合わない!」
ということを痛感するのです。

時間をかけりゃあいいってもんじゃないことも確かなのですが、
「このワークのトレーニングに近道はない」ということは
かなり早い段階でなんとなく分かっていたので、
余計がっかりすることが多かったのです。


また、「もっと早くアレクサンダーテクニークと出会っていたら
私の人生の前半戦も、もっと楽だっただろうな」
ということもよく考えていました。
なんか損しちゃってるなぁ、というのが正直な気持ちでした。

でも、ある時ふと思ったことでがきっかけで、
年齢と学びに対する私の考えは、変容するのです。
(長くなったので次回へつづきます。)

タイトルとURLをコピーしました