年齢と学び(その1)

2020年4月25日

いわゆる”アラフィフ”で、
アレクサンダーテクニークの教師養成校に入学し
卒業した私ですが、
入学してからしばらくは、年齢のことで
それなり~に葛藤はありました。

思っていたことは主に2つ。

1つは、「こんな、どこの馬の骨とも分かんないオバさんが
”先生デビュー”しても、
生徒さん誰も来ないんじゃない?」という不安。

もう1つは、「やっぱり若い人の方が
理解や変化のスピードが早いんじゃない?」という不安。


1つ目については、
学んでいく内に、あまり気にならなくなって行きました。

それは「自分はもう大丈夫だと思った」、
というのとも少し違います。
それどころじゃなくなって行ったのです。

学びが進んで行くと、自分の課題がどんどん現れてきます。
それは「今の自分の使い方」から生じてくる課題なので
ものすごくリアリティがあるのです。

それらの課題を糸口にして、
「どうやったら自分の使い方をちょっとでもよく出来るだろう?」
と取り組むようになると、
「馬の骨問題」(笑)にはあまりリアリティを感じなくなっていくのです。

ゴチャゴチャ言えてる内は、
まだ余裕があるってことなのかもしれないですね。

・  ・

2つ目については・・うっすら引きずっていました。

私より若い学生さんの変化はやっぱり早いんですよね。
先輩方ももちろんそうですけど、
若い後輩さんたちの進化のスピードもすごい。

身体の変化も早いし、知的な理解も早い。
「えー、私、入学して同じぐらいの頃、
そんなこと全然分かってなかったよ」
って驚かされることは日常茶飯事・・。

そして、何十年も教えていらっしゃる
偉大な先生方のレッスンを受けるたびに、
「残りの人生の全部の時間を費やしたとしても、到底間に合わない!」
ということを痛感するのです。

時間をかけりゃあいいってもんじゃないことも確かなのですが、
「このワークのトレーニングに近道はない」ということは
かなり早い段階でなんとなく分かっていたので、
余計がっかりすることが多かったのです。


また、「もっと早くアレクサンダーテクニークと出会っていたら
私の人生の前半戦も、もっと楽だっただろうな」
ということもよく考えていました。

なんか損しちゃってるなぁ、というのが正直な気持ちでした。

でも、ある時ふと思ったことでがきっかけで、
年齢と学びに対する私の考えは、変容するのです。

(長くなったので
「年齢と学び(その2)」へつづきます。)